キラキラと輝いた人生を送る

昨年ですが、フェイスブックのコミュニティーサイトに書いたものです。なんとなくこのブログに載せてもいいかなと思って紹介することにしました。

話に出てくるミキヲとは昨年4月に亡くなった、ジャック・ラッセル・テリアのオス11才です。心臓が弱くて、利尿剤や降圧剤などのクスリと心臓が弱いコ用のエサを与えていました。

でも途中からクスリを辞め、エサも普通に戻し、激しい運動は止められていましたが、元々運動が大好きな犬種。だから、好きなように遊ばせました。もっと、楽しもうって。

治ることはないし、そんなに長くないと医師から告げられていたからです。

ボール遊びや、追いかけっこ、かくれんぼ。それでもあまり長くは続きません。ゼェゼェと呼吸をし、水を飲んではまた遊んでとボールを持ってくる。

それも段々かけっこをする時間も短くなり、休む方が多くなりました。散歩をしても歩調がヨタヨタとなり、数歩進んでは休み、進んでは休み。死の直前には階段の昇り降りもままならなくなりました。

そんなミキヲはとても食いしん坊で、いつもボクが食べるものを欲しがり、いいなぁと恨めしそうに見ていたのを昨日のことのように思い出します。

そんなミキヲの最後の晩餐は納豆。2日前からエサを受け付けなくなったのに、納豆を見せると千切れんばかりにシッポを振って、むしゃぶりつきました。

そんなミキヲをふと思い出したので、紹介します。

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ライトワーカーのミッションをひとつ遂行しました。先日、愛犬ミキヲが亡くなりました。子供のように可愛がっていたので、本当に辛かったです。

最後はとても苦しんだ様子もなく、あっけない最後でした。もう姿を見掛けることはありません。その日に、火葬したので。

 でも実は、昨日まで家に居ました。魂となって。ボクにどうしても伝えたいことがあったからです。

本当に幸せだった。本当にありがとう。

ミキヲは大きくなってからウチに来ました。前の家ではエサを与えられるだけで、一切ケージから出ることなく、薄暗く狭い中に閉じ込められていました。

「このままじゃ死んでしまうから、もらってくれる?」

と、半ば強引に引き渡され、ウチに来た約8年前。足腰は細くやせ細り、目はギラついて、反抗的。最初はよく咬まれした。

「なんだコイツ!」

なかなら懐かないミキヲにイラッとしながら、散歩やブラッシング、ボール遊びなど過ごした毎日。

 

「どうして、こんなによくしてくれるんだろう?」

今まで味わったことのない幸福感。と、ミキヲは少しずつ心を開き、「ボスのために何かしたい!」と強く思ったそうです。それが、家を守ることでした。ぼくは家に帰ると必ず言っていた言葉、

「いつも留守番、ありがとうね。ミキヲが家を守ってくれるから、安心して暮らせるよ。」

彼は忠実に守ってくれていました。ワンワンワン!人の気配があった時、何かを感じた時、そしてバッタや蛾にも。そしていつも

「ねっ、家まもったよ。偉いでしょ?褒めて褒めて!」

 

彼は魂となった今でも「これからも家、守ろうか?」と伝えてきました。けなげなヤツです。でもボクは新たな仕事を与えました。それはナイショです。

ミキヲは青い光の粒になっていきました。腹水もなく、自由になって家の中を駆け巡っていた魂の気配はもう薄いです。

ここでポイントをひとつ。彼は生きがいを見つけたということです、自発的に。そして、もう犬は終わり、次の段階に入ったこと。

次はもうすこし上の次元、もしくは人間になるということです。どうなるかは彼次第ですが。

今回、身をもって分かったのはライトワークは何かをする、してあげるということではないということでしょう。光の灯台のように、ただ周りを照らす。

実際、自分自身、何かをしたという実感はありません、まったく。それと、人間だけに有効ではないということ。感情を持つ生き物に対してもライトワーク出来るという事です。

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後日談ですが、火葬して持って帰った骨壷を田舎の畑に埋葬しました。墓石の代わりにザクロの苗を植えて。

ふと思いついてそうしたのですが、これも意味があったようです。生命の循環。亡くなった命を新たなものに受け継ぐ。そんな意味だったと思います。

余談ですが、人間はちゃんとお墓にしましょう。樹木葬や海や空からの散骨もありますが、日本の昔からある方法でした方がいいです。なぜならちゃんと意味があってやってきたわけですから。

それでは。


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